イスラーム映画祭と映画「神に誓って(Khuda Kay Liye)」

書きたい、と思って一ヶ月半が過ぎた。

本当に書きたいことは、大抵このようになってしまう。

 

12月の半ば、渋谷ユーロスペースにて、全部で9本の映画を集めた「イスラーム映画祭」なるものが開かれていた。

わたしにとっては本当にひれ伏して感謝したいくらいありがたいイベントで、どんなに忙しくとも絶対に最低3本は見る(3回券なるものがあったので)、という気概で臨んだ。

結果、わたしが見たのは、

・神に誓って(パキスタン/2007)

・長い旅(モロッコ、フランス/2004)

・カリファーの決断(インドネシア/2011)

である。

 

どの映画も大変心に残るもので、可能ならば3本全てについてきちんと何か書きたいところなのだけれども、

正直に申し上げると「神に誓って」のインパクトが群を抜いていた。

この映画、とんでもなく面白いのだ。

いわゆるハリウッド(ボリウッド)的なエンターテイメントとしての面白さと、そこにド直球の社会問題を何本もぶち込んできて、それらが車輪の両輪として破綻なく成立している、重量級の映画だ。

 

一瞬、どうでもいい話をさせてほしい。

わたしはこの映画の際、映画館の最も奥の席に座っていたのだが、実は開始5分くらいで猛烈な腹痛に襲われた。

お腹を下すのはほぼ持病で、「これはもうトイレに行くしかない」と分かったので、隣々席の皆様には大変申し訳ないが、トイレに立った。

しかし、その時点で満席、立ち見で映画館は満杯だった。

当然、元の席まで戻ることができず、映画館の最後方の入口近くで、残りの2時間半、背伸びをしながらの立ち見となった(この映画は168分と相当な長さがある)。

……が、全く苦にならなかった。それほど面白かったのだ。終わった後は多くの観客が同じ気持だったのか、拍手まで起きていた。

 

しかしこの「神に誓って」、管理を任せていた会社が倒産したため、フィルムがもう無いらしく、今回上映したものもどこぞの映画祭で使われたフィルムをようやく見つけて取り寄せたそう。

そんな状況なので、日本語字幕版のDVDなども無い(英語字幕版はあるのかな……amazonのパッと見ではよくわからない)。

もったいない、と1000回くらい叫びたい。

 

もったいながっていても仕方がないので、あらすじを動画と文章で紹介する。

ほとんどネタバレになっているのでご注意ください。

 

 

 

 

物語の主人公は、マリー、その従兄弟の兄弟、サルマドとマンスール。

マリーはロンドン在住のパキスタン人二世(父がパキスタン人)で、大学に通っている(すごく美人)。イギリス人の恋人がいるが、父はキリスト教徒との結婚を許してくれない。父自身がキリスト教徒のイギリス人女性と事実結婚状態にあり、彼はイスラームへの信仰への罪悪感、それに加えてパキスタン人コミュニティからの非難に耐え難い気持ちでいるのだ。

一方、パキスタンの都市ラホールに住む裕福な家庭の兄弟、マンスールとサルマド。マリーの従兄弟にあたるこの兄弟はデュオで音楽をやっており、ポップな曲を歌っている。

マリーの父は、「結婚を許してあげるから、一度一緒にパキスタンに帰ろう」と言って、マリーと共にパキスタンに帰る。マリーは父が結婚を許してくれたことに大喜び。はじめてのパキスタン、親族・従兄弟との再会にも大喜び。

しかし、純粋で優しく内向的な弟のサルマドは、この時点で既にすっかり原理主義に染まっていた。彼は、原理主義の指導者(イスラーム法学者・タヒリ)の「音楽はイスラームの教えに反する」という言葉を信じ、すっかり音楽から離れ、元来リベラルな考えを持っていた家族にも「肌を隠す服を着るよう」強要するほどになっていた。

マリーの父は、この兄弟に「マリーと結婚するよう」持ちかける。

兄はそんなことはできないと断ったが、弟がタヒリに相談したところ、「異教徒の女性と結婚して彼女を改宗させることは非常に尊いことだ」とアドバイスされ、マリーの父の計略に乗って彼女をアフガニスタンとの国境地帯ワズィーリスターン(原理主義者に支配された村)まで連れ出し、何が何やらわからない状態のマリーと無理やり結婚してしまう。

父はマリーをそのままその村に置き去りにして帰ってしまう。

一方、兄のマンスールはそんなことは露知らず、弟の状態を心配しながらも、アメリカの音楽学校に留学する。

パキスタンという国の存在すら知らなかったアメリカ人女性と恋に落ち、幸せに結婚をすることになった……と思いきや、9.11、イスラム原理主義者によるテロが起きてしまう。

CIAによって無理やり容疑者とされてしまったサルマドは、劣悪な環境の監獄で、ひどい拷問を受けることになり……。

 

マリーは原理主義者に支配された村から逃げられるのか。

サルマドは原理主義に染まったまま、テロに身を投じるようになってしまうのか。

マンスールは監獄の中で何を思うのか。

 

そして最後には、「音楽は、イスラームでは悪なのか?」が法廷で争われることになる……。

 

 

 

 

この映画の素晴らしい点、素晴らしいシーンは本当にいくつもあるが、突出して印象深かったことをあげる。

 

まず、テーマの一つとされている音楽が素晴らしい。

監督のショエーブ・マンスールはそもそもテレビ番組のプロデューサーでもあり、音楽プロデューサーでもある人で、彼のかいたDil Dil Pakistan という曲は今じゃパキスタンの準国歌くらいに有名な曲である。

しかし、このディルディルを歌っているVital Signsのメインボーカリスト、Junaid Jamshedは、しかしこの後ポップ・ミュージックから遠ざかり、naatという、預言者ムハンマドを讃える歌をうたう活動に傾倒するようになる。

この映画の一部(サルマドを中心に)はこのJunaid Jamshedにインスパイアされて作られたものなのだ。

そういうこともあって、「イスラームにとって音楽とは?」という問いはこの映画の太い柱となっている。

そしてまた、使われている音楽の素晴らしいこと!! (わたしはitunesでBGMのアルバムを買いました)

例えばこれ。兄のマンスールがアメリカの音楽学校で、はじめて自分の(パキスタンの)音楽を披露する場面。

 

 

途中でチェロで加わるのが後に恋人となるジェニー。

この曲だけイスラム色が薄く、おそらくヒンドゥー色の強い歌(女神様、水をくださいというような歌詞だった……たぶん)。

 

この音楽の問題は、クライマックスのシーンで一つの(映画的)解決を迎えるのだが、そのシーンも素晴らしかった。

イスラームの教義と女性の人権、イスラームにとっての音楽の可否が、法廷で問われ、論戦は原理主義者・タヒリと、リベラル派神学者・ワリーの間で行われる。

タヒリはイスラームでは結婚に女性の意思は関係なく、芸術もイスラームでは禁じられていると解くが、ワリーはその論に真っ向から反対する。

タヒリの論は非常に明瞭かつ痛快であり、その言葉はタヒリを論破する。

そして洗脳を解かれたサルマドの後悔と謝罪の言葉は、現在も続く、イスラーム原理主義者達が宗教の名のもとに行っている矛盾を鋭く突くものになっていた。

ただ、この論戦についてはムスリムの方が見たらどう捉えるのかは正直、わからない。おそらくワリーの言葉は映画的には美しいが、イスラーム法的には間違っている、詭弁だと思う人もいるのではないかと思う。

しかしそれを鑑みたとしても、非常に印象深いシーンだった。(画ヅラは地味なのに!)

 

 

他にも、たくさん語りたいシーンがある。

マリーが映画の一番最後にする決断。現実離れしてはいるが、彼女の勇気に胸を打つ。

執拗で人権を踏みにじる拷問を受けた兄・マンスールの言葉は、まさに今、「アメリカだから嫌い」「イスラムだから憎い」と大きな主語で何もかもを捉えてしまう人々に向けられたもののように思える。

 

戦争のシーンがややしょぼいとか、日本的に見るとマリーの父親はありえないとか、小さく気になることはあっても、全体的にこれほど良いインパクトのある映画は久しぶりに見た。

もちろん良い映画に新旧は関係ないのだが、2007年の映画とは思えない、本当に。

 

ショエーブ・マンスール監督の、マリーへの、マンスールへの、サルマドへの。

そして音楽への、パキスタンへの、世界への愛のような、願いのような思いが感じられる映画であった。

 

是非再び日本で公開され、多くの人に見られることを祈りつつ、拙い文章を終えさせていただきます。