ボスポラス・クルーズでルメリ・ヒサルへ
この日はボスポラス・クルーズに参加する日。
トルコは、そしてイスタンブールは、ヨーロッパ側の陸地と、アジア側の陸地に海峡で隔たれている。それが、ボスポラス海峡である。
地図を見ていただければ分かる通り、北は黒海、南はマルマラ海に面しており、マルマラ海の「下の出口」であるダーダネルス海峡とあわせ、黒海・地中海を結ぶ超超超要所である。
この地形であったからこそ、この地形であったからこそ(大事なことなので繰り返しました)、ここにビザンティオンが建設され、コンスタンティノポリスが栄え、その後のイスタンブールの栄華もあったのだ。
そんなわけで、ボスポラス海峡と言えばわたしにとってはロマン中のロマン(※そういう憧れの場所が世界にたくさんあるので歴史好きは幸せである)なのである。
ツアーのバスが宿にピックアップに来てくれる。いい身分だわ、と思っていたが、他にもたくさんのホテルを回るのでこれでかなりの時間を要していた。
船は暑いけれど(陽射しが厳しいので)風がとても気持ちいい。ボスポラス海峡に自分がいるというだけで感激してしまって、楽しくて仕方がない。
楽しそうなおっさん(おじいさん)達。
もうすぐあの、メフメト2世がコンスタンティノープルを陥落させるために僅か3〜4ヶ月で作った要塞、ルメリ・ヒサルが見える!!!
しかも全く予想していなかったことに、ルメリ・ヒサルは見るだけではなく、船を降りて登れるというのだ!
これがルメリ・ヒサル。
ルメリ・ヒサルは今では小高い丘のようになっていたけれど、城壁などは割合しっかり残っていた。よじ登って対岸を見れば、アナドル・ヒサルが見える。(ちなみにルメリ・ヒサルは「ヨーロッパ側の城」、アナドル・ヒサルは「アジア側の城」という意味である。)
なお、この辺りについての話は、塩野七生女史のコンスタンティノープルの陥落 (新潮文庫)が、物語としては理解しやすい。
塩野女史はどちらかと言えば「ローマ帝国側」に肩入れしている方である。なのでこの本は「ビザンツ帝国サイドの人間」からの視点の方が強い。
だがさすが塩野女史と言うべきなのか、淡々とした語り口で情緒に走ることがないので割と「フラット」に読めるのではないかと思う。もし私がコンスタンティノープルの陥落について書こうとしたら、どう努力してもオスマン帝国に肩入れし、情緒に奔った語り口になってしまうに違いない。
ルメリ・ヒサルの城壁では、ツアー客の一人のおじさんに話しかけられた。
『君は……マレーシア人かね?』
『違います、日本人ですよ』
『じゃぁムスリムってわけじゃないのかな、なぜそのスカーフを?』
『日光アレルギーで……こうしてるのが楽なんです。あなたは、どこから?』
おじさんは、私は今はサンフランシスコに住んでいるけれども、パレスチナの出身だ、と言った。
パレスチナ出身の人に、なんて声をかけたらいいか分からなくて、私は自分で質問したくせに、そうなんですか、としか言えなかった。
対岸を眺める鳩。
さようならルメリ・ヒサル。(写っているのはわたし)
青のモスク、リュステム・パシャ・ジャーミィ
ルメリ・ヒサルの地点でボスポラス海峡を折り返し、スタート地点に戻る。2時過ぎになっていた。
エジプシャン・バザールという大きなバザールの近くだったので、バザールを眺めつつ(客引きが凄いので遠巻きに眺めるだけだった)その中にある、シナン設計、リュステムパシャ・ジャーミィへと向かう。
こじんまりとして小さいモスクながら、総イズニック・タイルが目に鮮やかで、優しい。
ミフラーブまで、青だった。
私はまた床にぺたんと座り込んで、ぼけーっとモスクの中を眺めた。どうしてか、本当に安らげるのだ。まるで家の畳の上でごろごろしているみたいに。
まんまと(?)モスクの入り口で売っていたイズニック・タイルの本を買ってしまった。
一度エミノニュ駅前に行って、遅い昼ご飯を食べた。スープとピデを食べた。スープはどこに行ってもおいしい。
これがピデ。
夫がどこかで帽子を失くしてしまったので、バザールで適当な帽子を買う。
ここでも「ニホンジンデスカ!」「オバサン!」などと呼びかけられるが、日本語で呼び込まれるところでは断固として買いたくないというひねくれた気持ち。
レモンとピスタチオのアイスを食べつつ、エミノニュ駅に戻り、スルタンアフメット駅に戻って近くにある地下宮殿へ。
想像していたより広い空間だった。魚もたくさん泳いでいたが、水はどこから来ているのだろう? しかしここは何より涼しくて良かった。
トルコに行くとそこらじゅうで見かける青い目玉のお守りは、このメデューサの目がモチーフだという説もあるようだ。
地下宮殿のカフェで休憩していたら、「兄弟が鎌倉でトルコ料理屋をやっている」というおっちゃんに話しかけられたが、最終的には「この近くで従兄弟がツアーの手配をやっているけどどう?」「絨毯屋もやっている」みたいな話になり退出。その後もスルタンアフメットのあたりのベンチに腰掛けていたら明らかにあやしげな若い男性二人に「英会話の勉強で話しかけてるから心配いらない」「オカムラタカシに似てるって言われる」「サムライ、ヤクザ、大好き」など言われ、頼んでもいないのにIDカードまで見せられるが、つれなくしたら去っていった。客引きの多さにちょっと疲れた一日だった。
その後少し歩いて、いい感じのレストランに行った。ちゃんと冷えたエフェスビールが出て来て感激! とにかくキンキンに冷たい飲みものが皆無なので辛いのだ。
それに、メニューの表紙にオスマン帝国の宮廷の挿絵があってテンションが上がった。
しかし暑さにやられたのか、胃が小さくなっていて、あまり食べられない……。メゼ(前菜)6種盛りとスープ、デザートでお腹いっぱいになってしまった。
テラスというか、道のど真ん中のテーブルで食べていたのだが、物乞いや売り子が来たり、野良犬が追い払われたりしていてカオスだった。カオスというと言い過ぎかもしれないが、なんというか、アジアな感じ。
この後ホテルに帰って、就寝。