turkey-day 9 カッパドキア

カッパドキアで熱気球に乗る

信じられないことに、この日は朝の3:30起床だ。4:30にレセプションに集合し、うっかり別の団体のバスに乗って降ろされたりしつつもなんとか熱気球ツアーへ。

しかし、極度の緊張症というか過敏性腸症候群のわたしは、早速お腹を壊しまくり。バスで熱気球の会社のゲストハウスみたいなところに連れて行かれ、そこでまた移動まで待ち時間があるのだけれど、その間は用意された軽食を楽しむ人々を横目に、ひたすらトイレに籠っていた。

そもそもなんで緊張しているかというと、エジプトで起きたひどい熱気球の事故のニュースを当時とても詳細に読んでしまっていたため、ほとんど「死を覚悟しなければ……」みたいな心持ちだったのだ。

だったら乗らなければいいという意見もあろうが、やっぱりカッパドキアだし気球乗りたいし……という訳で、一所懸命評判のいい会社をいくつか探し、そこと提携しているホテルを予約したのである。だから、ホテルの値段が高くなるのも「安全と引き換え……」みたいな意識だった。

さて、「頼むからもうお腹痛いの止まって欲しい……熱気球の中で便意をもよおしたら本当に、本当に地獄だ……」という悲壮な思いのまま、先ほどとは別のバスに乗せられていよいよ熱気球に乗り込む地点へと移動する。わたしは緊張したまま、必死にお腹から意識を逸らそうとしていた。気球が楽しみ、という余裕は一切無かった。

しかし幸いなことに、気球を打ち上げる地点に行き、スタッフの皆さんが気球に火をつけたりしているのを見ると、自然と興奮してきて(何せ火の勢いは想像以上だ)、気が紛れてきた。

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また有り難いことに、わたし達の気球のパイロットさんは、いかにも頼りがいがある風貌で、胸にはチーフパイロットと書いてあり、軽妙なトークでわたし達を笑わせてくれたため、単純なわたしは「この人なら死ぬことは無かろう!」と思い始めた。そのため、いつの間にか緊張は解れていたのである。良かった!

わたし達の組は、オーストラリアの若者5人組、アメリカの男性、コスタリカの老夫婦、イタリアの女性2人組という顔ぶれだった。

パイロットさんはカッパドキアの解説をしながら、気球を地面すれすれに飛ばしたり、あるいは高く高く登らせたりと自由自在に操っている。

彼曰く、「高く飛ばすのは誰でもできるよ。でも高く飛ばすだけじゃカッパドキアを楽しめないだろ?」

彼の言葉通り、地面すれすれに飛んでくれたおかげで、わたしは気球のうえからヤギ(?)や、奔放に走り回っている野生の馬などを見つけることができた。

それでは素晴らしいカッパドキアをしばし写真でお楽しみください。

 

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野生の馬。完全に自由に、好き勝手に走っていた。ちなみにカッパドキアとは、「美しい馬の地」を意味するペルシア語に由来するそうだ。

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葡萄畑。カッパドキアは大昔から良いワインの産地。

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たくさんの気球たち。

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ひとつだけ朝靄に浮かぶ気球。

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このなんともいえない色合い。無数の土の色。

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さまざまな地形が目を楽しませてくれる。

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これはかなり高くまで登っていた時。

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ほら! 見て、ヤギ! たぶんヤギ!

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降りる時が一番大変そうだった。スタッフさんが地上から綱を引っ張ってくれる。

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最後はみんなでシャンパンで乾杯して、お別れ。ありがとうパイロットさん。生きて帰って来れて本当に良かった。ちなみに会社の名前は「ロイヤルバルーン」です。

 

 

プライベートツアーでウフララ渓谷へ

確かこの時点で朝の9時くらいだったように思う。ホテルに帰り、朝食を食べて、プライベートツアーへ。

プライベートツアーというのは、こちらの希望に合わせてガイドさんがツアーを組んでくれるのだ。これは結構なお値段だったのだが、集団行動嫌い、旅後半で疲れ気味、行きたい場所がある、なわたし達にとっては結果的にこのツアーはすごく良かった。

ガイドさんは、オヤさんという女性。トルコ語、英語、日本語も少し話せると言う。このオヤさんはとてもいい方で、必要以上に馴れ馴れしいわけではないが適度にフレンドリー、という非常に有り難い存在だった。

ガイドさんだけでなく、専属の車(ミニバス)もとても有り難かった。移動してみて分かったのだが、カッパドキアはめちゃめちゃ広く、行きたい場所が点在しているのである。この移動を自分でアレンジするのはちょっと面倒だろうと思われる。移動用のバスは広く、クーラーが聞いているし、本当にこのミニバスのおかげで早起き(と腹下し)の疲労もだいぶ回復した。

ツアーではまず、カイマクル地下都市へ。地下都市の中は、トルコに来て以来、最も涼しい場所だった。オヤさんの日本語英語まじりの解説のおかげで、この地下都市について色々な知識を得ることができた。例えば、中心に穴の開いた巨大な丸いドアは、敵が攻めてくると転がして閉め、その穴から槍を突き出して戦った……など。

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次に、わたしが行きたかったウフララ渓谷の終点地点にある、セリメ修道院(跡)を見に行った。ここまで、車の移動で50分くらいかかる。

ここはカッパドキアの中でも特に古い遺跡で、非常に初期のキリスト教徒が作ったものだとのこと。ローマの弾圧から逃げて来たキリスト教徒がこの地に流れ着いた、ということだった。

(どうでもいいことだが、わたしはいままで「ビザンツ帝国(正確には東ローマ帝国)」「ビザンティン」などの日本語に慣れていたので、最初にガイドさんが「バイザンティオン」と言ったとき何のことだかパッとは分からなかった。)

 

岩山をよいしょよいしょと登って、この景色!

こんなところで神に祈りを捧げ続けていた人々は、どんな気持ちだったんだろうか。

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迷路のようにつながりあった岩山内の施設には、カテドラル、チャーチ、チャペル(ちょっと違いが分からない)、隊商宿や瞑想部屋などがあった。隊商宿はちゃんとラクダも通れるような造りになっていたようだ。

これは山羊?と思われるが、どういう意味があったのかは分からない。キリスト教で、子羊はシンボルとして扱われることもあると思うけれど、ヤギはあまり良くない扱いだったように記憶しているが……羊なのだろうか?

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小さな鳥の巣があった。親鳥が飛んで行っては、ヒナに口移して餌を与えている。

暮らす人の姿の消えた岩山に、鳥だけはずっとこうして暮らしの営みを続けているのだ。

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ウフララ渓谷の中を流れる川の上にあるレストランでランチ。

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ガイドさんも一緒なのかと思ったが、二人にしてくれた。ここのパンは焼きたてで美味しかったが、またもや頼む量を間違えた気がする……。

 

実はわたしはこのウフララ渓谷をハイキングしてみたかったのだけれども、ガイドさん曰く「……結構、大変よ?」ということだったので諦めたのだ。距離はともかく、確かにカッパドキアはかなり陽射しが厳しく、とにかく暑かったので、確かにちょっと大変そうであった。

かわりに、ガイドさんはウフララ渓谷の始まるところまで車で案内してくれた。とても美しい光景だった。

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谷に生えているスラリとした木はポプラの木らしい。

見て! 羊が川で水を飲んでいた。

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ピジョンバレーという、鳩の住む小穴がたくさんあいている地形のところでは、昔は鳩のフンを肥料にしていたと知ってびっくりした。

 

 

トルコ石と絨毯に挑む

ピジョンバレーの向かいには、ジュエリー屋さんがあった。お土産にトルコ石を買いたかったので、 ガイドさんに良いお店を紹介してもらうことにしたのだ。

正直わたしには石の善し悪しはわからないから、グランドバザールやエジプシャンバザールで買う勇気はなく、ちゃんとしたお店で買いたかったのだ。

一般のお客さんは入ってこない、奥の部屋に通され、ハムザさんという日本語ぺらぺらの優しい男性から説明を受けた。ハムザさんの奥様も日本の方で、このガイドさんのツアーで出会って結婚したそうだ。

今回トルコで出会った人々の中でも、ハムザさんは一番日本語が上手で、ほとんど日本語ネイティブといって差し支えないような話し振りだった。

さんざん迷ったあげく、お土産用のトルコ石と、自分にも安めのアンティークトルコ石を買った。アンティークトルコ石は少し翠がかっていて、地球みたいで綺麗。希少なのでトルコからの持ち出しは5つまでに制限されているらしい。

 

ハムザさんとお別れして、今度は絨毯やさんに。ここは買うつもりは一切無かったが、一度真っ当な絨毯屋さんに入ってみたかったのでお願いした。

絨毯の説明とデモンストレーションを見せてもらって、無数の絨毯の敷かれている階を通り抜けて、3階のだだ広い部屋に案内された。

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説明の男性が部下の男性に合図をすると、絨毯を床に落とす重い音と共にどんどん絨毯が広げられ、頭がおかしくなりそうだった。

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ここまでの説明で、絨毯の値段は「密度(解像度)」で決まる、ということは理解していた。つまり、1マスの中に含まれる糸の結び目の数が多い方が価値が高いのだ。

確かに、細い絹糸で織られたものは信じられないような美しさ、繊細さで、「これはこの上を歩けるようなものじゃないだろう……額縁に入れて壁に飾りたい……」というような代物だった。

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確かに美しい。欲しいような気もする。でも値段も頭がおかしいような感じで、300万円とかなんとか……もちろん買えるわけがない。

買えない、というともっと安価なもの(といっても数万円だ)を紹介してくれたが、300万円の美しさを見た後だとそちらにはもうあまり食指が伸びない。

だんだん混乱してきたわたし達は、もうすぐ引っ越し間近だし……とにかく家がめちゃめちゃ狭いし……とかなんとか断って、お店を出た。

なんだかすごい体験で、頭がしばらくふわふわした。

 

絨毯の店を出たところで、ガイドさんは次のアポがあるということでお別れ。素敵なガイドさんだった。

運転手さんにホテルまで送ってもらって、ツアーは終了。疲れたので、また夕飯はホテルで食べた。だがやはり、このホテルは味付けにバルサミコ酢を多用しすぎていて(パスタまで!)いまいちだった。

部屋に帰って、味噌汁を飲んで、寝た。

 

 

 

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