黒海沿岸の小さな町、アマスラへ
トルコ・黒海沿岸にあるアマスラという小さな町への移動日。
おそらくほとんどの日本人がアマスラという地名を知らないのではないかと思う。もし知っているとしたら、よほどのトルコマニアか、あるいは村上春樹ファンかの可能性が高い。
というのは、このアマスラという町はガイドブックに載っていない(地球の歩き方でさえ載っていない)、だが村上春樹氏の 雨天炎天―ギリシャ・トルコ辺境紀行 (新潮文庫) で、村上氏がアマスラに行ったことが書かれているのだ。
とは言っても、実はわたしもこの本を読んだことがあったわけではない。この本の存在を知ったのはトルコから帰って来てから、友だちに教えてもらったのだ。
わたしがアマスラに行きたかった理由は、トルコ特集をしていた雑誌の一枚の写真があまりにも美しかったから。その一枚の写真がわたしを黒海沿岸の小さな町へ向かわせたのだ。
確か、この雑誌だったと思う。
荷物が多いのでタクシーでオトガルまで移動。本当にこのバスがアマスラに行くかな? と困りげにしていたら、おじさんが助けてくれた。強面だったけどやさしいおじさん、ありがとう。
トルコは広いなぁと感心しつつ、7時間くらいバスに揺られてアマスラへ。
到着した瞬間からこの美しさだ。
アマスラ散策
恋人同士の再会などを横目に町の中心部へ。想像していた通り、とても綺麗な小さな町。
アマスラの次はサフランボルへの移動なので、そのバスを予約する。最初Kamil Koçという方のバス会社に行ったら、「ULSOYに直行便がある」と教えてもらえた。アマスラからサフランボルへ移動したい皆さん、ULSOYに直行バスがありますよ。(2014年8月の時点では)
バス会社のカウンターのお姉さん(英語が苦手そうだった)も、ATMを先にどうぞと行ってくれたおじさんも、ホテルの裏口で「?」となっている私達を表に案内してくれたおじさんも、普通に皆、控えめながら優しかった。ここではうんざりする客引きはいない。ホテルのお姉さんも元気で優しい。
その後、景色のいいところを求めて散歩へ。
これは城壁の跡。
アマスラは、ビザンツ帝国時代を経て、トレビゾンド王国、セルジュク=トルコ、ジェノヴァと支配者を変えつつ、最終的には例のメフメト2世(オスマントルコ)に掌握された場所で、この砦は長い間、この小さな町を守ってきたものである。
さて高いところに辿り着いた。
楽しいし充分絶景なのだが、写真で見たのとは少し違う……だが陽が沈んできたので、明日再チャレンジすることにした。
片言トルコ語でのふれあい
散歩中、おじいちゃんやおばあちゃんがトルコ語で何か話しかけてくれるのだが、分からない。でもなんとなく、優しいことを言ってくれているのは伝わった。
全然関係ないが、わたしは一応現地では現地の言葉を喋るべくメモを作っていった。ありがとう、は「テシェキュルエデリム」だが、現地ではほとんど「テシェキュレ〜(ティッシュくれ〜)」でよさそうだった。
さようなら、は「ホシュチャカルン」だが、これも「ホシュチャカ!」とホテルか何かのお姉さんが言っていたのを聞いたので、真似して略すことにした。言葉の響きが気に入ったのでわたしはしょっちゅうホシュチャカ〜と連発していた。
あとは「わたしは◯◯(名前)です」とか「調子はどう?」「いいです、あなたは?」みたいなあたりの言葉を片言話すだけで、トルコの人々は大変喜んでくれた。
黒海の夕景
夕飯はSAHILなんとか、というところで食べた。適当に入ったのだが、思いがけず海辺の席でびっくり。
黒海に沈んでいく夕陽が、ものすごく綺麗だ。
メフメト2世が征服のためにアマスラを訪れた時に、その美しさに対して「目に入れても痛くないほどの場所はここなのか」と言った(かも)……とどこかで読んだけれど、メフメト2世の気持ちもよく分かる。
しかしやはり量は多い、アマスラサラダは1人前だがどう見ても4、5人前だった。小魚のフライも大皿に山盛りだ。シーフードロールというものはとても美味しかった。
日本人の食いしん坊としては、色んなものをちょこちょこ食べたいのだが、なかなかうまくいかない。値段も安くはないし。
アマスラは、熱海みたいな町で、全然おしゃれではないお土産屋ストリートがある一方で、時々ブイブイした雰囲気の若者がレッツパーティーみたいな雰囲気も醸し出していて、ほんのりとリゾートっぽさがある。
早めにホテルに帰って、チャイを入れてみた。日本では紅茶に砂糖を入れることなんてほとんどしなかったけど、チャイは砂糖を入れるのが美味しい気がする。……というか単に暑さにやられているのかもしれない。
ごろごろしたり、サフランボルについて調べたりしながら、寝た。