このブログのタイトルを「今と遠く」にしたのは、
暮らしのことと、旅などのこと、どちらも書こうと思っていたからだった。
しかし現状はご覧の有様で、去年のトルコの記事しかない。「遠く」だけあって、「今」は影形もない。
そこで一念発起して(大抵一念発起するのは年末で、数カ月後には一念はどこかに消えてゆく)、
なんとかこの一年の「家」まわりの写真だけまとめておくことにする。
一年の振り返りをまとめてすることが「今」に当たるかどうかはかなり怪しいけれども。
去年の11月に引っ越したから、ちょうど一年と少しがたった。
これは内見の時の写真なので、物がなくて綺麗だ。今はすっかりごちゃごちゃしている。
今年のお正月。
そういえば、引っ越した時点で、すでに夏みかんと柚子がなっていたが、どちらも写真が残っていない。
夏みかんはひどく酸っぱく、柚子はとても美味しかった。
2月半ば、ふきのとうが元気いっぱいにはえてくる。おいしく天ぷらにした。
いつの間にか花を飾るのが好きになった。
ふきのとうと同じ、まだ浅い春の季節に、まず紅梅が咲く。手前は金柑。金柑は冬中ずっと実っている。
午前中は壁に天然のプロジェクション・マッピングが映しだされる。
石の上に座っている野良猫はまるまるとしていて黒いので「とろくろ」と名付けた。今も巡回に来る。
家の近くの川岸の桜が、雪崩れうつように咲いた。通行人の方も見入っている。
特に意味もなく花の写真を挟む。
3月初め、白い梅も咲いた。
白梅、紅梅、一度に収めたかったけれどうまくいかなかった。
敷地内の角に咲く八重桜(たぶん)。
降るように咲く。
3月後半、スモモ(たぶん)が咲く。
4月後半、ご近所の見事な藤。
これも近所の公園。新緑があまりにも美しかったので。
5月初め、待望の筍がはえてきた。
笹薮があるので期待していたが、スーパーに筍が出回る季節になってもなかなか生えないので、諦めかけていた。
が、一度生え始めてからは「雨後の筍のごとく」毎日大変な速さで生える。
伸びては大変なので(門から玄関までの通行路に生えるため)、毎日掘って、というより折って食べた。細いし新鮮なのでアク抜きの必要もない。
わたしは皮ごとグリルで焼いて、塩をつけて食べるのが一番好きだ。あと筍ご飯も、お吸い物も好きだ。全部好きだ……。
山椒の実がなりはじめる。
台所。暑くなってきたので窓を開けている。
閑話休題。近所の一コマ。
山椒の実を収穫。
梅がなったので、梅酒を漬けた。
これはその梅酒、ではなく、夏になったので麦茶開き。
まだあまり熟していないスモモの実。
というのも、スモモの木に実を狙って夜な夜なハクビシンがやってきて、我が家の屋根にどしんどしんぶつかるようになったため、
大家さんが実を収穫してくれたのだ。
これもこのあとブランデーに漬けた。
夏はこのシロップをソーダで割るのにはまっていた。
9月に伊勢神宮に行ったため、我が家の似非神棚もどき(ただの無印の棚)に本当に神様をお迎えしてしまう形になった。
ウォンバットと象は天照大神の使徒という大役を仰せつかることになり、誇らしげな面持ち。
なんとなく、すじこからいくらを作ってみたら普通においしくできたし、なんと言ってもいくらより安いので、
すっかり気に入って何回か作った。
夫曰く「今年はいくらを作り始めた元年」とのこと。
秋には秋刀魚の会も行われた。秋刀魚は綺麗にさばくのが難しい!
昆布締め、お刺身、ワタ漬け、コンフィ、塩焼きなどに展開した。塩焼きにするための炭火の炭が湿気っていてなかなか火がつかなかったのはご愛嬌。
秋っぽい花。
朝の光を撮りたかった。
秋空。今年はいつもより秋が長くて嬉しかった。
柿。
大家さんから収穫した柿をいただいた。
ご近所も秋めいている。
ところで、今更だが夏の写真が少ない。
これは、家の周りが木に囲まれていて大量の蚊が常に飛んでいるため、
異常に蚊にさされやすい体質のわたしはスプレーをしていてさえ1分たりとも外に留まっていられないから。とてもカメラどころではないのだ。
仕事で使った花。花を生けるセンスがほしい……。
12月半ば、ようやくここまで紅葉した。
師走。家の三面が窓なので、窓拭きが大変。
お終い。
また来年も美しい四季とともに暮らすことができますように。ちゃんと筍がはえてきますように。